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日本発豪州行き 蹴球戯言
Vol.215/2015/12

第17回「オーストラリアと日本の海外移籍」


 Aリーグはレギュラーシーズン真っ只中で、本誌お膝元のパースグローリーは苦戦を強いられている様子。Jリーグは、プレーオフが終了し、サンフレッチェ広島がリーグチャンピオンとなりました。シーズンが終了すると同時に訪れるのが、ストーブリーグとよばれる選手や監督の移籍劇の始まりです。それでは、早速恒例の問題です。

【Q】オーストラリアと日本にて、海外へのメジャーリーグの門戸を開いたパイオニアといえば?

【A】Aオーストラリアはハリー・キューウェル(Harry Kewell)氏、日本は中田英寿氏と筆者は考えます。両名とも、1990年代後半に活躍した選手です。

 まず、キューウェル氏の活躍はセンセーショナルでした。特に、イングランドプレミアリーグのリーズユナイテッド、リバプールでの存在感は絶大で、サッカー後進国の選手といったレッテルはすぐに払拭されました。カリスマ性を備え、スピード感あふれるドリブルに左足のフィニッシュも非常に華やかでした。

 一方、日本においてのパイオニアは三浦知良選手と言えるかもしれません。しかし、世界というフィールドにおけるインパクトでは、三浦選手の場合、当時のジャパンマネーを狙った感も否めません。そう考えると、中田氏は純粋に実力を評価されての移籍だったと言えるのではないでしょうか(それでも、ユニフォームの売れ行きや日本のスポンサーマネー獲得などの報道は散見されましたが)。実際、中田氏のイタリアでの活躍はごく短期間に限定されましたが、抜群のボディーバランスがもたらすボールキープ力と視野の広さがフィジカル重視のサッカースタイルにマッチし、際立たせました。

 さて、両氏の活躍以後、様々な選手たちが海を渡りました。純粋に実力を評価されての移籍にも関わらず全く活躍ができず、失意の帰国を強いられた者、特に日本からはスポンサー目当ての獲得などもありましたが、実情はなかなかクラブの主力として存在感を発揮できる選手が現れず、2000年前後までは、メジャーリーグへ移籍する選手よりも国内へ帰還する選手達の方が増えました。そんな中、オーストラリアにはティム・ケーヒル(Tim Cahill)選手、日本では本田圭佑選手が登場します。

 両名とも実力を評価されての移籍でした。ケーヒル選手は、イングランドプレミアリーグのエヴァートン、本田選手はオランダエールデヴィジのVVVフェンロに所属し、主力選手として活躍し、両国の代表にも好影響をもたらしました。

 結局のところ、AリーグやJリーグでいくら名声を高めても、世界に通用するようなカリスマ性を得るには程遠く、やはり本場メジャーリーグに所属し、活躍することを選手ならばみんな考えていると思います。そのためには、地理的状況や両国と本場メジャーリーグの力関係を考慮して、若年時代にまずは自国リーグでアピールして、海外への移籍を勝ち取るしかなさそうです。余程のことがない限り、欧州で何の実績もないベテラン選手を獲得してくれるメジャークラブは存在しないでしょうからね。

 ケーヒル選手や本田選手以後、オーストラリアでは代表チームがアジアカップ優勝の実績を引っさげ、引き続き多くの選手たちが欧州メジャーリーグへの移籍を勝ち取っています。その中でも次世代のエース候補は、パースグローリーに所属していたオランダエールデヴィジのローダJCに所属しているダニエル・デ・シルバ(Daniel De Silva)選手でしょうか。ケーヒル選手を継ぐ、将来の代表中心選手候補でもあります。日本では、次世代ではありませんが、香川真司選手が本田選手に変わり、中心的存在になりそうです。

 最後に、海外移籍をするにあたり、オーストラリアは移民の国ゆえに欧州にルーツがある選手が多く、労働ビザ取得や欧州へ国籍変更が比較的簡単であることは、日本よりも移籍をしやすい環境だと言えます。また、欧州クラブは外国人枠適応となる日本人選手よりも、外国人扱いにせずに済むかもしれないオーストラリア人選手の方が、獲得しやすいのは当然です。この辺の事情は、今でも海外移籍というものへ影響していますが、叫ばれている“ボーダレス化”の実現に期待したいところです。

 追記です。日本では三浦選手、中田選手以前に欧州(ドイツ)で活躍した奥寺康彦氏がいます。1970年代後半から1980年後半でした。その後も何人かの日本人選手が海を渡りましたが、奥寺氏ほどインパクトを残せた選手はいませんでした。