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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.216/2016/01


記者としてのフォトジャーナリスト


 私は主に写真を撮るのを生業としているが、実は本の虫、つまりはテキスト中毒ではないかと思っているところがある。本を読むことで私は、自分の世界を広げてきたとも言えるからだ。ほんの10数年前まで、本を読むことは、最もお手軽な方法で、人間の幅を広げる手段の一つであった(と思う)。しかし、時代は変わり、今ではスマートフォンに代表されるデジタル機器が全盛となり、実際に本を手にしてページをめくり、テキストを読むのが趣味という人は激減しているのが現実であろう。

 2016年の新年早々、近所の書店に立ち寄ってみた。本棚に整然と並んだ書の背表紙を眺めながら時間を潰していくのは、本当に楽しかった。ふと、著者の名前に目をやる。すると、自分が愛読していた作家や記者、研究者や活動家たちもずいぶんと多く鬼籍に入っていることに気づいた。私が何度もその著作を読み返してきたのは、斉藤茂男、宮本常一、城山三郎、千葉敦子、高木仁三郎、灰谷健次郎、高野悦子、上野英信、竹中労、小田実などなど・・・である。

 私は、時に思うことがある。先んじて時代を生きたこれら著述業の大先輩たちは、モノを書く仕事をしながら、一体、何を想って作品を世の中に送り出してきただろうか、と。もちろん、存命している作家である村上春樹、沢木耕太郎などからも、彼らの書くという仕事を通して私は影響を受け続けている。


 私は、自分の職業であるフォトジャーナリストのジャーナリストの部分を、文字を書く記者という仕事、つまり取材・インタビュー・調査活動で取材結果を報告する職業だと解釈している。しかし、我々が日常生活で目にしたり活動したりする大部分は、動く映像がメインである。映像には映像の、文字には文字の役割があることは承知しているが、そこで、文字の報告はどこまで映像に打ち勝つことができるのか。実は、そこが記者の力量が問われている部分であろうとも思っている。

 私が好きな文筆業者たちは、確かに映像では表現できないテキストだけの記録文学や報告を残している。そこで、いつも不思議に思っているのだが、いったい全体、どうして彼ら彼女たちはそういうことができたのか、ということである。単に努力すれば達成できる領域なのだろうか。私は、いつもそのことを考え続けている。しかし、その一方で、どうやったら彼らのようになれるのか、なんてことは考えていないし、彼らの背中を追おうとも思っていない。

 私が本当に知りたいのは、彼ら彼女たちの視線の先に何があるのかであり、その視線の先を自分も見ることができるのだろうか、ということである。

 そこで私は、講演会などでニュートンにまつわる喩え話をする──リンゴが木から落ちるのを見てニュートンは万有引力の法則を発見したといわれる。その当時、多くの学者や研究者が物理学の分野で先人の知恵を学んでいたし、いずれは誰かが引力の法則をまとめ上げるといわれていた。そこで、私が疑問に思ったことは、ニュートンが「どうやって」万有引力の法則を発見したのではなく、「他の人ではなく、どうしてニュートンが」その万有引力の法則を発見することができたのか──ということである。

 最近になって、ようやくその問いの答えが見えてきたような気がする。もっともその答えは今のところ、あまりにもぼんやりとしているので、今ここで、コレだ!と自信を持って詳らかにすることはできない。


 どうやれば、彼ら彼女たちのような作品を残せる記者になれるのか。それを考えても簡単に答えはできないし、また私には相談する相手もそれほどいない。しかも私はフリーランスで、酒を一滴も飲まない人付き合いの良くないジャーナリストなので、自分が壁にぶち当たった時、気軽に愚痴をこぼせる仲間がいない。そこでいつも頼るのが、これまで読んできた上記の文筆業者の本を再読することでヒントを得ようともがくのである。

 例えば斉藤茂男さんの『記者志願』には次のようにある。

 「もともと記者になろうというぐらいの人間には、知識欲、情報欲が旺盛で、頭の中に溢れるほど、他人に“しゃべりたいこと”を持っている人が多いのだろうが、私の経験ではこの“しゃべりたい”欲求に耐えられない記者は、記者としてあまり適格ではない」

 「取材という作業とはそういうふうに考えると実に時間をくい、ムダが多く、経済合理性と矛盾する非効率的な“手作業”であり、最後の最後は記者の人間性にかかっているやっかいな労働だ。だが、それだからこそ面白くてやめられないと私には思えるのです」

 「本当の特ダネは、たまたま他社の記者が知らなかったことを他社より先に書くことではない。 もし、だれかが報道しなかったら永久に隠されてしまったかも知れない事実を暴くことだ。 それだけでなく、その現象のもっている『意味』をどれだけ的確に、鋭くえぐりだして社会に投げかけたかという、その視点、掘り下げ方、問題提起の仕方などがみどころなのだ。『う〜ん、そうか、そういうことだったのか』と読者を思わずうならせるぐらいの奥行きのある、考えさせる記事、世界観の変更を迫るぐらいの力がある記事が書けたら」