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Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.210/2015/07


記憶と記録の交差点(6)—<Room 411>に暮らして(1)



 海外取材を長年続けていると、現地の生の情報を講演というかたちで報告する機会がある。その場では、新聞や雑誌、テレビやラジオなどの、いわば「よそゆきの報告」ではなく、現場で見たまま・聞いたまま・感じたままの体験を話すことが多い。この十数年は、もっぱらビルマ(ミャンマー)取材にかかりきりなので、軍事政権から民政移管したビルマ政府の動向を話すことになる。ざっくばらんな講演の場合、取材の報告を終えて質疑応答の時間になると、毛色の変わった質問を受けることもある。

──どうして取材先をミャンマーに決めたのですか?
 もともとフォトジャーナリストとして取材を始めた時、自分の関わる取材は民族紛争や宗教紛争に手を出さないと決めていたんです。例えば宗教では、イスラーム教やヒンズー教、仏教徒とムスリムが対立したりしています。あるいはイスラーム教でもスンナ派とシーア派の抗争などがあります。また、旧ユーゴスラビアでは、セルビア・クロアチア・ムスリムの異なる三つどもえの民族紛争が続いています。これらの紛争では、どちらの側にも「正義」があると、私には思えるんです。血みどろの戦闘が長い間続いていると紛争の原因が分からなくなり、何が正しくて何が間違っているのか、解決への方向性を見失ってしまっています。
 巷では、取材者というのは客観的に事実を見て報道すべき、中立であるべきという意見があるかも知れません。でも、実際のところ、現場に入って取材を始めてしまうと、心情的にどちらの側にも肩入れせず、中立の立場で取材を続けるのは不可能だと思っています。
 それでは私の場合、どういう基準で取材先を決めているのか。
 私の選ぶ取材現場は、宗教や民族が原因の紛争地ではありません。取材対象は、軍事政権です。つまり、軍政下で厳しい生活を余儀なくされている人びとの現状を見ること。さらに、そこで、強権的な体制に対して抵抗している人びとの姿を伝えること。それが私の取材先を選ぶ基準です。軍という暴力で人びとを抑え込んでいる社会体制とは、一体どういうものか。それを現場に入って身体で感じる。さらに、そこで暮らしている人びとのありのままの生活を記録・撮影する方法なら、個人的に感情移入できるのではなかろうか、と思ったからです。
 私がビルマに取り組み始めた理由は、そこが軍事独裁国家だったからです。

──ビルマではどんな方法で取材をしていたんですか?
 私は、どこの組織にも所属しないフリーランスですので、財政的な裏付けを全く持っていません。それに、現地で起こる事件や事故などのニュースを追っかける気はまったくありません。もちろん、あらかじめ取材費など出してくれる媒体などもありません。そのため取材費は、ギリギリまで切り詰める必要があります。時間をじっくりとかけて、できるだけ現地の状況—ここでは軍政下ビルマ—を分かった上で、取材を始めようと思っていました。
 ビルマの場合、とりあえず3ヶ月ほど現地に滞在することから始まりました。まずは宿探し。ヤンゴン(ビルマ最大の都市)市内のゲストハウスや格安ホテルを泊まり歩き、最終的に一泊6ドルの安宿「DHゲストハウス」を探し出しすことになりました。もちろん、シャワーやトイレは共同です。

On The Road by Yuzo Uda

 DHゲストハウスは、急な階段を上がらなければならない6階建ての建物。狭い廊下の片側に、窓がない広さ3畳ほどの黴臭い小部屋が5つほど並ぶ。廊下の突き当たりが共同のシャワーとトイレ。階段を上った各階の角の小さなスペースに、一泊3ドルという超格安の部屋もあったが、こちらは荷物を置くスペースがまったくない、シングルベッドを置いて寝転ぶだけの窮屈すぎる部屋。私はカメラ4台、ラップトップ・パソコンや充電器など、取材機材だけでスーツケースが一つあるから、それは選択肢に入らない。

フィルムで写真を撮影していた時代、フィルムは
貴重だった。撮影はもっぱら、何か特別なことや
意図的な対象を撮す時に使っていた。自分の
日常を撮すことはあまりなかった。
フィルムからデジカメに移行し始める直前、
デジカメで撮った<Room 411>。


 DHゲストの中でも、いくつかの部屋に泊まってみましたが、共同のシャワーやトイレが近く、エアコンの調子が良いのは数少なかった。そんな中で気に入ったのは<Room 411>でした。そこが1年間の取材の拠点となりました。一日6ドル、一ヶ月180ドルですが、ゲストハウスのオーナーと交渉し、長期滞在ということで一ヶ月150ドルと負けてもらいました。

On The Road by Yuzo Uda
DHゲストハウスの屋上から撮した夜明け前のヤンゴンの様子。
下町は英国の植民地時代の建物がそのまま残っている。


 まずは3ヶ月間、ビルマ語を取得するために時間をかける。毎日、午前の4時間と午後の4時間、計8時間をビルマ語の個人授業に費やす。個人授業の先生を見つけ出すのにも苦労しました。
 ヤンゴンでは、無料で外国語を教えている僧院がいくつかあります。多くの若者が、土・日に僧院に集まっていました。外国語を学ぶビルマ人の間で日本語は英語に次いで人気があり、日本語をペラペラ話す若者もチラホラ見かけました。日本語検定1級を目指すクラスでは、「金子みすゞ」の詩を読んでいたりします。僧院内には喫茶店が併設されていたので、授業の合間に彼ら彼女たちが、コーヒーを飲んだり軽食を食べながら空き時間をつぶしています。そんな喫茶店に顔を出して、声を掛けてみるんです。