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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.204/2015/01


「記憶と記録の交叉(3)」



On The Road by Yuzo Uda

中米のほぼ全土は、スペインの植民地になったあと、ベリーズをのぞいてカトリックとなった。政治と宗教が結びついた土壌から生まれ出た軍事政権はその後、内戦を生み出すことになる。現地では冷戦後を経て内戦を終わらせるが、多くの人びとは貧困を抱えたまま、苦境に陥り、時に祈る他なかった(エルサルバドル、2004年)。



今上天皇は2015年の新年に当たって、次のような感想を発表した(以下、抜粋)。

満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。
I think it is most important for us to take this opportunity to study and learn from the history of this war, starting with the Manchurian Incident of 1931, as we consider the future direction of our country.
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html(日本語)
http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html(英文)

 この感想の英文の方では、満州事変が起こった1931年という時期がわざわざ入っている。この戦争の歴史を「十分に学び」= 「study and learn」が最も重要だとしている。つまり、先の「アジア太平洋戦争」を学び直さねばならないのだ、と。 これは、どのようにとらえればいいのか。

 現在の日本社会に蔓延している閉塞感は、「日本は良いことをした」「日本が悪かったというのは戦勝国の洗脳」「アジアの人々も日本に感謝している」という歴史修正主義を一部で起こすまでにいたっている。

 この感想文は、(個人的な解釈だが)「反省」とまではいっていないが、この歴史修正主義に対する何らかのリアクションではなかろうか。 そこで、歴史を十分に学ぶ、とはどういうことであろうか。そのことを改めて考えてみたい。歴史を学ぶとは単に、過去に「何々という事件」が起こったことを知ることではない。また、時系列で史実を覚えることでもない。

  1931年に起こった満州事変は、なぜ・どのような経緯で起こったのか。それを知るには、歴史関係の本を読めば大体のところを学ぶことができる。また、ウィキペディアを見れば、ある程度の知識を得ることはできる。しかし、歴史を学ぶということはある事件を点だけで捉えることではなく、まったく別の事柄とのつながりや関係性を、考える・想像することであると思う。

  例えば、グーグルなどで「中米の日本」という語を検索してみると、「エルサルバドル」という国名が結果として出てくる。中米諸国7国の中で最小の国でありながら勤勉な国民性、とも伝えられる地震が多い国でもある。