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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.157/2011/2

「写真民俗誌/写真民族誌への手がかり(1)」



ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台 ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台 ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台 ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台
ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台 ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台 ビルマ(ミャンマー)で撮影した時計台

 

 デジタル機器が発達し、多くの人が、それこそ日常的にカメラやビデオを使うようになってきた。また、携帯電話にも高解像度のカメラが備え付けられ、簡単に撮影が可能となっている。さらにインターネットやコンピューターの普及により、撮影・編集・発表という一連の作業のハードルも低くなってきた。
  そこで、自分の仕事に関して、ちょっと困ったことが起こってきた。これまで主に海外取材を行い、現場で起こった現象や背景、映像を中心に取材してきた私にとって、わざわざお金と時間をかけて、外国に出かけたとしても、仕事にならなくなる事態が発生しつつあるのだ。
  これからは現地の人が、現地の人の目線と視点で取材・撮影し、外部の人のフィルターを通さずに、生の情報を発信する時代となり始めた。
  外部の人が現地を見る目には、これまで2重の意味のフィルターがかかっていた。まず、その場で生活していないという外部者の目というフィルター。次に、その人自身が個人として持つフィルター。現地発信が増えることで、前者の外部者というフィルターが取り除かれ、より現地の生活感覚に沿った情報が発信されることになった。
  物珍しい事象、例えばお祭りや風変わりな風習、馴染みのない食生活などは、外部の者がわざわざ取材するまでもない。その場で暮らす人が撮影すればいいのだ。
 
  もっとも、現在起こっているエジプトのデモなどのように、地元の人の生命に危険を及ぼす政治的な出来事は、外部の者が取材した方が良い場合もある。だが、そんな事例は通常、希(まれ)である。
  今後、外部者としてどのように海外取材を続ければいいのか。もちろん、外国人でしかできない権力の監視や「正義」の実現、声なき声の代弁という伝統的なジャーナリズムの青臭い考えを捨て去るつもりはない。それはそれとして、新しい視点を持って、外部の者でしかできない取材や発表はないものかと試行錯誤している。
  また、自分が日本的で特別だと思っていることが案外普通であり、自分が普通だと思っていることが、特別なことであったりする。それは、違う価値観をもった外部の情報を通してでしか理解できないという事象があるからだ。その特別と普通を、自分の取材を通じて発表することにより、自国にあるいは取材国側の双方に何らかの形で反映するのもまた双方に利益のあることだと思う。
  そういうことを念頭に置きつつ、どのように実際の取材や発表すればいいのか?
  1つのヒントとして私が考えているのが、文化人類学に近い写真民俗誌/写真民族誌という手法を使えないか、ということである(それを映像人類学・映像民俗誌・映像民族誌と呼ぶ人もいる)。

ビルマ

 ここにビルマ(ミャンマー)で撮影した7つの時計台がある。これら7種類の時計台は、ビルマ全土を歩いた私自身が撮影したものである。15〜16世紀から20世紀初頭の植民地時代に建てられた時計台だ。
  これらの時計台は、ある意味、ビルマらしさを表している。また、これらは生活の風景の一部になってしまったため、ビルマの人にとっては郷愁を誘う建物である。つまりは、写真の被写体になりやすい事物である。
  ところで、どの時計台がどの地域の建物か、分かるだろうか。地図上に撮影地点を紫色の“●マーク”で示してみた。これに答えるには、時計台が写った写真を深く「読む」必要がある。
 
  ちなみに次のような、日本の人類学者や民俗学者たちによる話がある。

 仲間に日本各地を写した写真を、地名を隠したままで数枚見せる。そしてその土地のどこか当てっこをよくしました。「写真を読む」という研究会でした。すると、たいていは五分くらいでその土地の名を言い当てられてしまう。

 個人的には、日本では映像教育、例えば写真から情報を読み取るという教育はあまりなされてこなかった(と思う)。社会的にも「文字」は映像に比べて常に上位にあり、映像は下位に抑えられてきた歴史がある。文学や論文などの文字情報には、行間を読むという言葉があるほどだ。それに比べて、映像の中味を読み取る力量はそれほど重視されてこなかった。そういう状態がこの間、日本ではずっと伝統になってきたとも思える。
  絵画は別として、事象を正確に写しとる写真は、たかだか160年の歴史しかない。歴史が浅いから、まあ、仕方ないことだろう。
  ちなみに、前記の研究者の話の続きであるが、写真から情報を読み取れるのは、自分なりの判断基準を持っている人だそうだ。「そういう自分なりの物差しを持てるのは、歩いていないと身に付かない。また、歩くことで自分の物差しをしっかりしたものにすることができる」とも言えそうだ。
  写真の読み取りが出来る人は、まず第一に、現場を歩いている人であるといえる。
(続く)