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[第14節] 電撃移籍

 5月30日、23時のパース発成田行きの直行便で石田はパースを後にした。オーストラリアでのサッカー人生にピリオドを打ち、自分が生まれた国のトップリーグ、Jリーグの舞台に返り咲くために。

 石田にとってのAリーグ初年度は、不甲斐ないものだった。当然、物足りなさを感じている。自分が定めたターゲットには程遠かった。怪我に悩まされ、監督が掲げる戦術と自分のサッカースタイルに大きな相違が生じていたことも理由だったのかもしれない。しかし、過ぎたことを振り返る時間がないことは、石田自身が一番よく分かっていた。

 石田は、2004年の暮れにパース・グローリーと2年プラス1年のオプション付きで契約を交わす。この契約内容は、チーム内の他の選手と比べ、かなりの好条件だった。複数年契約を結べた選手は極僅かだった。当時、石田もこの契約内容には満足していた。シドニーでプレーしていた3シーズンよりもアップグレードした契約内容を提示してくれたクラブのオーナー、ニック・タナ氏にも感謝していた。しかしシーズンを終え、石田は空虚な、何か満たされないものを感じていた。実際、自分のサッカーがチームと同じ方向を向いていないことも感じていた。シーズン終盤からは、自問自答の日々が続く。もっと自分が輝ける場所があるのではないかと。つまり、移籍の2文字が頭の中をかすめたのだった。