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あなたの言いたいこと
Vol.162/2011/7

「パースで検索するとパースエクスプレスのホームページが挙がってきて、その中でこのコーナーを見つけました」といったコメントをそえられた、日本からの投稿を紹介します。

「転職して60歳の大学生!」

 大学を卒業した後は就職をする、といった当たり前の構図を疑わなかった。就職したら簡単に辞めるものでもない、とも思っていた。でも今、冴えないサラリーマンを卒業してオーストラリアへ行こうと考えている。

 大学は経済学部で、経営学科だった。何を勉強したか、記憶にない。なぜ経済学部に入ったかなんて、理由はなかった。どこでもよかった。願書も大学名と偏差値で選んで、適当に法学部とか文学部も受けた。とにかく『将来の潰しが利くもの』だったら、何でもよかった。就職活動もなんとなくやった。一応、どこかで耳にしたことのある会社を適当にあたった。会社で何を作っていて、何を売っているかは、二の次だった。どうせ、会社に入れば、歯車の1つにしかなれないことも分かっていた。大学で学んだ経済や経営のことなんて使いやしないとも分かっていた。もちろん、会社側も大学で学んだことを仕事に活かしてほしいなんて、期待していないことも分かっていた。

 『潰しが利く』とはよく聞くフレーズだけど、これほど厄介なものはない。要は、自分の考えはそこにはないということだからだ。「医者になりたいから、医学の勉強する」というのはすごくシンプルだけど、例えば「英語を勉強しておけば、仕事には困らない “かもしれない”」というのは、自分の意思で決定されていることではない。かなり人任せだ。おまけに、“かもしれない”といった、訳の分からない逃げ道まで付いてくる。世の中が、英語を必要としているから、そのために勉強をしておこう…。もし、自分がその勉強をできなければ、それはそれで仕方ない、のおまけ付きだ。こんな考え方をしながら、大学受験に始まり、就職した人はごまんといるはず。俺もその一人。

 実は、中学生の時、いじめで登校拒否になった。高校は、何とか環境が変わったから通えるかなと思っていたけど、2年生の6月頃から行ったり、行かなかったりの毎日だった。この時の理由は、いじめではなく、ただの引きこもりだった。しかし、何とか進級して3年生になった4月、同じクラスに知り合いの女の子がいた。親父と同じ会社の同僚の娘だった。親父からは、高校に入学した時に、そんな話は聞いていたけど、3年生になって初めて同じクラスになり、話をした。実は、その子が俺を変えてくれた。

 彼女とは付き合い、初体験も彼女だった。なぜか、その子のために勉強した。成績の良い彼女は大学進学を目指していたので、俺も引きずられるように大学入試のために勉強した。彼女との付き合いは濃かった。放課後も毎日のように会って、ほぼ毎日のように体を重ねた。そして、自分が生まれ変わったことがその頃、はっきり自分で認識できた。そして、お互い違う大学に入学した。付き合いはそのまま続くかと思ったが、半年ももたなかった。

 その後の大学生活は、本当に単調な、平凡を絵に描いたようものだった。授業をサボってバイトに明け暮れ、テスト前には友だちからノートを借りまくり、意味もなさないその日限りの恋愛を繰り返した。そして、大学3年生になり、周りがはじめた就職活動を、周りがやっているからという理由でやった。

 就職して6年が過ぎた。就職した当時と今も、生活リズムは全く変わらない。終電で帰ってきて、次の日の朝7時にはまた電車に乗っている。そして、あの日もいつもと同じように誰もいない部屋の電気をつけ、ネクタイを緩め、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、TVを点けた。すると、いわゆる女子アナが「お帰りなさい。今日も1日、お疲れ様でした」と労いの言葉をかけ、今まで放送されていたと思われるニュースがダイジェスト版となって流れた。時計を見たら、日付が変わった深夜の0時過ぎ。あの女子アナの一言は、まさに俺にむけての一言だったが、当然俺だけではない。キー局のニュース番組なので、多くの視聴者がいることは間違いなく、仕事から夜中の0時過ぎに帰ってきた人のためのせりふとコーナーが成立していた。しかし、何度も繰り返すが、夜中の0時過ぎだ。頭が混乱した。俺みたいな、日付がかわって帰宅するサラリーマンは、そんなに多いのか?飲んで帰って来る人も対象になっているとは思うけど、その女子アナの満面のスマイルで癒されているヤツはどれだけいるんだ。もしかして相当いるのか、夜中の0時過ぎに…。

 就職した6年間、自分の時間はほとんどなかった。それが当たり前だと思っていた。でも、大学の時の友だちで、ワーキングホリデーでオーストラリアに行った奴と飲む機会があった。奴の話は、自慢話ばかりで退屈だったけど、ある一部だけ、今でも頭に残っている。それは、「キャリアアップするために転職して、給料も自力で上げていく。もし必要となれば学校にも行ける。30歳だろうが、40歳だろうが関係ない。60歳の大学生だっている。オーストラリアはそういう社会なんだ」と。

 深夜に会社から帰ってくることが公然の事実となっている世の中は、どう考えても不自然だ。最近、気付いた。友だちの話が本当なのか、自分の目で確かめたい。ここ数ヶ月、どのようにこの世の中から脱出しようか、ずっと考えている。


<投稿者>霧★ 男性/29歳




本誌Vol.161、2011年6月号の当コーナーで紹介された「ブスは損だと思っていたけど…。」の投稿について意見が寄せられました。



「気分が悪くなりました」

 2011年6月号の「ブスは…」を読みました。読んでみて、“オーストラリア人の男性は日本人女性のブスが好き”と言っているかのようでした。もっと突っ込むと、“オーストラリア人の男性は日本人女性の容姿を見極められない”とでも言っているように聞こえたのは、私だけでしょうか?読んでいて、すごく気分が悪くなりました。私も国際結婚をしています。主人はイギリス出身ですが、オーストラリアの生活が長いので、自分でもオージーと言っていますが、彼にこの話をしたら相当怒っていました。オーストラリア人の男性を馬鹿にした内容になっていると思います。


<投稿者>中島(旧姓) 女性/30歳代


「ブスだとは思っていない」

 自分のことを本当にブスだと思っている人は、この世の中でいるんでしょうか。ブスの基準なんてないし、ブスか、そうじゃないかは、異性の男性が決めることだと思います。女性同士で誰々がブスだとか、あの子はブスだから友だちになれない、といったことが基準で物事が決まることなんてほとんどないです。例え、ブスで何かが決まったとしたら、そこには仕事やビジネスの関係が全体にあるでしょうね。つまり、そんな時は必ず何か異性についてが絡んでいるはずです。単純に、女性同士の間や女性の社会では、ブス、ブスじゃないといった基準は存在しないと思います。なので、Vol.161の投稿の中で、“自分は被害妄想の強い人間じゃない”と言っていたけど、やっぱりこの書いた人は、被害妄想の強い人だと思います。心から自分をブスだとは思っていないと思います。


<投稿者>匿名希望 女性/31歳


「グラビアアイドルはブス」

 このコーナーに適してない内容だったら無視して下さい。2011年6月号の内容について思ったことをメールします。まず、ブスって何なんでしょうか?実は、日本のグラビアアイドルは、僕にはみんなブスに思えてなりません。彼女たちを見て、マスターベーションをしている人の気がしれません。僕にはもちろん、性的な感情も沸いてこないし、見ていて目を背けてしまいたくなります。質感も感じませんし、全く個性的ではないと思います。その意味で、彼女たちはブスだと思います。僕にとっての可愛い(ブスの反対)は、左右の目や鼻の穴のサイズ、眉毛の太さや、口元の高さが違っている人だと思っています。毎日、良いことばかりがあるわけじゃなく、泣いたり、眉間に皺を寄せたり、歯を喰いしばることだって誰にでもあると思います。もちろん、幸せを感じて喜んだり、笑ったりもしますよね。その時の表情全てが顔に刻まれ、それがその人の顔になるはずです。そんな毎日を過ごしていれば、シミひとつ無い、左右均等の顔なんてあるはずがなく、もしあっても全く魅力的には思えません。つまり、ブスこそが美人だと思います。


<投稿者>匿名希望 男性/30代後半