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あなたの言いたいこと
Vol.155/2010/12

今回は、先月号(vol.154)の投稿を受け、自身の経験もふまえた日本人男性からの投稿です。

「お姫様は続きませんよ」

パースエクスプレス先月号のこのコーナーの「私は可愛くない」には、いろいろ考えさせられました。

私は7年前にオージーの女性と結婚して、子どもを1人もうけましたが、今年初めに離婚しました。

まず、今思えば、結婚への大きな理由は、とにかく西洋人へのあこがれだったと思います。特に容姿への憧憬は強かったと思います。極端な話、彫りの深い、鼻筋の通った、えらの張っていない小顔だったら、誰でも良かったのかもしれません。ヘルメットを被っているようなゴワゴワした真っ黒な髪の毛で、サングラスをかけてもフレームの上に眉毛が見え、アヒルのようにペタペタ歩く人じゃなければ、よかったのかもしれません。実際、元妻は身長175cmぐらいで、痩せ型、顔はオーストラリア人女優のケイト・ブランシェットのような人でした。

当時、彼女との結婚は、何も疑うものはありませんでした。この人と一緒にお墓に入ろう、とまで思ったほどです。でも振り返ると、100パーセント会話が通じていたわけではないので、2人の時間の中でベッドの中で過ごす時間が相当な割合を占めていました。深く掘り下げた話をしたところで、必ず行き詰まってしまい、結果的には尻すぼみで終わっていました。しかし、そこに疑問を感じず、身体が繋がっていれば心も繋がっていると勘違いしていたのでしょう。冷静に考えても、食べているか、セックスしているか、寝ているか、のどれかしかない恋愛時代だったと思います。

それと、周りの目がとても気になっていたのも事実です。いわゆる、世間体です。例えば、2人で日本に里帰りをした時、一緒に手をつないで歩いていたら、通りすがる人みんなが振り返って私たちを見ていました。私はどこにでもいる普通の日本人ですが、その日本人が青い目の女性と仲むつまじく、手をつないで歩いている姿は、ある種、憧れ的な光景だったのかも知れません。カフェでお茶をしながら会話していた時も、周りの席に座っていた他のお客さんたちの視線が痛いほどでした。英語だから分からないだろうと思って、自分もわざと声のトーンを上げて、しゃべっていました。

結婚して3年が過ぎた頃、些細なことですが、こんなことがありました。結婚前から気にはなっていた、彼女の鼻毛についてちょっと言ってみたんです。すると彼女は一言、「Who cares?(誰が気にするの、そんなこと?)」と簡単に聞き流してしまったのです。毛そのものが金髪なので、目立たないと言えば目立ちませんでしたが、私にとっては鼻の穴から覗くその鼻毛と、鼻の下に蓄えたひげはどうしても受け入れがたかったです。

今から2年前に息子が生まれました。この息子の誕生はある意味、この異国での自分の存在意義を認めさせるものでもあり、私にとってはとても大きなことでした。人生最大と言っても過言ではありません。しかし、一般的に言う、倦怠期を逃れるための軌道修正だったのかもしれません。離婚した今、自分の生活の中でのトップ・プライオリティは、当然ながら息子の存在です。彼のためなら全てを投げ打って、といった気持ちには偽りありません。しかし、こうなってしまった今、親の勝手で子どもには将来、片親ということから嫌な思いをさせてしまう可能性もあるのかと思うと、とても心苦しいのです。

離婚の最大の原因は、心が通じ合えなくなってしまったからでした。最初から私の方に心が無かったのでは、との自問自答にも正直答えが出せません。動機が不純だったとも言えます。それに対して、彼女には自分というものがいつも必ずありました。それが時には、とても強く感じて、私には耐えられなくなってしまうこともありました。日本人にとっては決して珍しいことではないのですが、「人がいて、自分がいる」という感覚は、オーストラリア人にとっては全く信じられないことのようです。「自分がいて、人がいる」国の人とどのように付き合っていくのか、難しいところです。余談ですが、私たちのような男性が日本人で、奥さんや彼女がオージーのカップルの日本人男性は、みんな、物分りが良いですよね。悪く言えば、自己主張の弱い人。私もそうですが。

最後に先月号の投稿者の方に申し上げます。離婚するということは、時間と労力をとても使い、そして何より精神的な負担は計り知れないものがあります。恐ろしいくらい重いのです。お忘れなく。

<投稿者>匿名希望 男性/39歳