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ドロップアウトの達人 Vol. 68
 

 黒澤組の役者の中で、間違いなく黒澤が一番気に入って いた俳優は、三船敏郎であろうと想像します。「羅生 門」以来、「七人の侍」「野良犬」「椿三十郎」「用心棒」「赤ひげ」「天国と地獄」など立て続けに主役で使われています。やはり「羅生門」がベネチアでグランプリを受賞したことが、その後の三船イコール国際級スターというイメージを定着させたのではないでしょうか。海外では三船が通じる。三船が日本映画のグローバルスタンダードになる。そして三船自身の案外、大根役者的なところも言葉の壁を越えて、人間味を感じさせる魅力になっていきました。

 それを真っ向から否定した俳優が、仲代達矢だと思います。 都会派の仲代の真骨頂は、洗練され、計算された、言ってみれば人間業とは思えない域まで煎じ詰めた演技を、場を誤らずに演じるところにあります。年下の仲代が「用心棒」あたりから黒澤組に参列し出した頃の撮影所の雰囲気というものが、目に見えるようです。そこには天皇黒澤明に可愛がられる三船敏郎が君臨していたことでしょう。知性にあふれ、理論派で通る若い仲代の目に、そういった欠点だらけの雑な役者の姿は、どのように映っていたのでしょうか?自尊心の強い仲代が、やがて大変な競争心を持ってしまったとしても、自然なことだったと思います。何か昔の長嶋と王の関係に似ている気がします。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係と言ってもいいと思います。

 話を戻しましょう。
 もう一人、志村喬の存在があります。「生きる」「酔いどれ天使」「野良犬」などで見せる、男の悲哀、父親の悲哀を言葉ではなく、あたかも背中で表現してしまうような秀逸さは、三船とは違った 手の届かない何かを、若い仲代に教示し続けたことだろうと思います。いろいろな意味で当時の黒澤組、そして日本社会は刺激に溢れていたのです。
 演技も、本気も、全部スクリーンに出してくる三船に対して、 精密機械のように100%計算して組み立てる仲代。この力関係を、たぬき親父黒澤が見逃すはずはありません。必然、数多くの作品で彼らはそのままライバルとして、対峙することになるのです。

 本能対論理。
 映画「影武者」で本来ならば勝新太郎が主役だったのに、仲代は勝が降りてしまった後の代役だったというところから、すべて計算づくと言われる黒澤は、実は本能の解き放つ演技を誰よりも楽しみにしていた人だったのではないでしょうか。当代一流の個性を放つ勝新太郎の「影武者」を見たかったのは、黒澤監督だけではなかったと思います。しかし、クランクインしてから急遽、代役に立つことになる仲代達矢の演技そのものも、あたかも勝新が乗り移ったかのような、大胆なものでした。ですから、映画「影武者」は、信玄と信玄の影武者を演じるだけではなくて、勝新太郎が演じたらこんな感じになっていただろうという信玄像にきわめて似せて演じなければならなくなった俳優仲代達矢の、自分を捨てた究極の演技が表れたものだったと言えなくもありません。
 一方で、このあたりの器用さが名優であるけれども、モーレツな支持層を得られない器用貧乏仲代達矢の諸刃の剣になってしまいます。少なくとも都会派仲代にとって、あの田舎侍にも似た丸出し演技の三船敏郎の存在は、大師匠黒澤明の前で、本当はどっちが上なのかと、いつの日か決着を待つ宿命であったに違いないのです。
 黒澤という映画監督の偉大さは、すでに語り尽くされた感がありますが、今申し上げた役者同士を銀幕の上で競わせ、計算し尽くされたシナリオの進行の上に、尚、そういった人間くさいスパイスを上乗せして、味付けする全てを知っていた、というあたりに色濃く出ている気がします。

 最後に仲代達矢の芸域をあえて言うなら、すでに演技を越えて無の世界、宗教の世界にまで到達している時が多いのではないでしょうか。成功するにつれて自分を見失っていく弱い人間世界の性にあって、仲代達矢という稀代の名優が辿るその軌跡は、限りなく仏陀フットのそれに近づこうとしてあがいている気がしてならないのです。
 仲代達矢、俳優という枠を超えて、探求者と言い換えてもいい名優は、20世紀という時代が産み落とした必然であると言える 気が致します。

回答ZORRO

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