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シリーズ連載第2弾 「父親な俺様」

 

其の5 いったーきまーす。


俺もそんなにしつけとか厳しくしてる訳じゃないけど、やっぱり守らせたい習慣とかはあるよな。例えば子供には食事の前にいつも「いただきます」を言わせること。俺は子供が忘れると「あれ、ちゃんといただきますは言いましたか?」と注意をするが、そこでハッと気が付いた。「しまった、俺もやってない」イカン。まず俺がやんなきゃ、と反省。俺様が「ウイッス、いただきまーすっ!」とやると、ちゃーんと恵蘭も見様見真似で「いったーまーす」と手を合わせてから御飯を食べる。

外国の大抵の常識ある普通の人達は、その様な日本の習慣をすばらしいという。その通りっ!「いただきます」ってのは本当に我々日本人が誇るべき日本の美しい習慣なのだ。いや、どこでも似たような習慣はあるんだよ。でもね、例えば一般に良く知られているイタリア語のボナペティートは「おいしく召し上がれ」だから、これはちょっと意味が違う。キリスト教徒も食事の前に祈るけど、それは「神よ日々の糧と家族の安らぎを与えてくれて感謝します、アーメン」なので、やっぱり微妙に違うよな。じゃ日本語の「いただきます」は何が違うのかというと、一言でいえば「礼儀」、つまり人や自然に対する感謝と畏敬の気持ちを表すための儀式なのだ。恐れ謹んで頂戴するからこそ「ありがとう」とは言わずに「いただきます」なのだ。

日本人は昔から農耕民族として豊かな自然の恩恵を受けると共に、その生活基盤が大きな自然の力によって根こそぎ破壊されてしまうという歴史の中に生きてきた。だから日本人にとっての自然との共存とは、自然をいかに上手にコントロールし、快適な生活の一部とすることであったのだ。そこには自然の恵みをそのまま受け入れるだけの狩猟や採取ではない人為的な「生産」が存在し、また自然の荒ぶる神を鎮めることも、その生産活動の大事な一部分であった。だから農産物を作ってくれた人に、料理を作ってくれた人に、食事の材料を買うお金をくれた人に、そして自らの命によって我々の命を支えてくれる動物達に、野菜達の力強い生命力の恵みに、その全ての命を育む地球に、八百万の神様に、宇宙万物に対する「感謝感激、いただきます」なのだ。

いや、本当は俺も普段そこまで考えてないけど(笑)、でも、そういうことなんだよな。感謝って全てを言おうと思うと言い尽くせないけれど、一番シンプルに言葉にするとこうなるんだろう。

しかし、感謝することの素晴らしさはもちろん世界共通だが、これをシンプルな「行為」として表すのは意外と難しいのではないだろうか。もちろん日本人だって、小さい子供は手を合わせることの意味も良くわからないだろうけど、まあ別にそういうことでもいーんじゃないだろうか。とにかく、俺様は子供が暖かい食事の前でうれしそうに両手を合わせて「いただきまーす」と大声で言っている姿を理屈抜きに、とても美しいと思うのだ。

じゃあ日本で一般的に大人はどうしてるだろう。確かにオフィス街で昼時に大声で手を合わせて「いっただっきまーす」と元気に言っている大人はあんまり見ない。見ないどころか、そんな無邪気なビジネスマンはある意味ちょっとコワイ。でもね、みーんな心の中ではしっかりと手を合わせて「いただきます」をしていると俺様は信じています。そうすれば、たとえ忙しい日々に追われて、いつの間にか「いただきます」を忘れてしまっても、自分の子供や孫が出来たら「食べる前には、ちゃんといただきますって言うんだよ」とやっぱり子供に言うだろうし、そして自分もまた日々の自分の至らなさを反省しつつ、感謝の言葉を思い出す様になるんだよ...、俺様のようにな。

みんな、感謝しろよー!



★離乳食から固形食に移る時の赤ちゃんの食べものは気をつけて下さい。蜂蜜、バナナ、穀類、牛製品、卵、ナッツ類、海産物の一部(貝類や甲殻類)など、子供によってはアレルギーを起こす場合があります。また、早期の消化があまり出来ないうちに食べさせると、かえってアレルギーの原因となる場合もあるので、同じく気をつけて下さい。