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Barefoot in the Creek

 

第6章 コミュニティーの成立



 あくせく働くことだけが開拓地生活の全てではなかった。さまざまな社交活動が楽しみをもたらしてくれた。集団開拓計画の考案者たちは、社会的な接触が開拓民には欠かせないことを理解していた。近隣の住人さえめったにお目にかかることのない孤立した農場生活から離れ、ほっと一息つけるだけでなく、コミュニティー内の世間話に花を咲かせることもできた。催し物はほとんど自分たちで考案した。ラジオがようやく町に出回りだした時で、当然ながらそれもこんな人里離れた所では手が届くような代物ではなかった。もちろん、テレビなどもっての外であった(テレビのない生活が読者諸君には想像できるだろうか?)。

1929年に学校が建てられるまでは、私たちの家から4キロ程離れた粗末な小屋でこれらの催し物は行われていた。その後社会的、宗教的な行事は学校で行われるようになった。大抵毎月1回はいろいろな催し物が小さいながらも居心地の良いその小屋で行われた。