さて、このテストに対しては否定的な意見も少なくない。フリーマントル市長のピーター・タグリアフェリ氏は「これは、かつて白豪主義時代に行われたテストにどこか類似しており、人種差別的な気配を感じる。理由があってテストをするのは理解できるが、テストの背後にある理屈が分からない。そこには論理というものが無い」と言う。確かに、まだオーストラリアをろくに知らない者がテストに出るような重要事項ばかりを記憶し、合格することに意味があるのだろうか。筆者の経験からすると、しばらくオーストラリア社会で暮らし、様々なことを見聞きし、膚で感じていく間にオーストラリアという国が見えてくる。アンザックパレードを実際に自分の目で見て、その意味を理解したときに本物の知識となるのではないかな。重要なのは、市民権取得希望者がその時点でオーストラリア社会にどのくらい同化しているかということで、知識云々はその次のステップだと思うのだが。 最近は日本にも多くの外国人が住むようになっているが、彼らが問題を起こすケースも少なくない。それは主に日本でのルール、マナーといったものが無視されるからであり、彼らが日本社会に同化していないからであろう。もし日本政府が外国人に「市民権テスト」をするとしたら、「憲法記念日はいつ?」なんていう知識、教養問題は重要だろうか?それよりも先に社会への同化度を験す方が大切だと思う。今回のオーストラリア「市民権テスト」だが、オーストラリアについての知識、教養度を験すのもいいが、これとは別に、オーストラリア人としての意識を持てるのかをしっかり験すような問題を導入したらどうだろうか。そして、このテストの実施前に、まずはオーストラリアで生まれ育った、いわゆるディンキー・ダイと言われるオージーにも験して、その結果を発表してもらいたいな。

<筆者のプロフィール>
東京生まれの元祖ワーホリ。日本企業のエンジニアを辞職し、日豪で計3年間の修行の後、日本語教師となる。パース在住15年、日本語教師歴11年。ペンネーム「ブッシュウォーカー」。

 


This site is developed and maintained by The Perth Express. A.B.N.29 121 633 092
Copyright (c) The Perth Express. All Reserved.